地中に埋めた壺みたいなもの

有益なものは何一つございません

日常のヒトコマをそのまま書き起こす試み

 とある居酒屋にて。

 私は一人テーブル席に座ってビールを飲んでいる。いつもはカウンターなのだが、たまたま今日はカウンターが埋まっており、一番奥の四人掛けテーブルに通されたのだ。お通しを持ってきた店員が「奥の席ですみません」と声をかけてきた。むしろ、四人席を一人で占拠して申し訳ないのは私の方で、そのぶん沢山飲んで売上に貢献してあげようとグラスを空にする。

 今日は、おすすめメニューの中から鰹のたたきと茄子の揚げ出しを頼んだから、二杯目は焼酎の水割りで。日本酒も良いかと思ったけれど、一瞬で無くなることが分かっているので、料理がまだあるうちは嵩高い焼酎にするのだ。ウーロンハイでも良いが、お酒を飲んでいる感を感じたい今日は止めておく。秋茄子は嫁に食わすなという季節の慣用句を思い出しつつ油を吸ったとろける茄子を口に含む。存分にその官能的な味わいを楽しんだら、芋の風味のする水割りでさっと流し込むこの瞬間!そして脂の少ないあっさりとした夏の終わりの鰹は、香ばしく焦げた表面の風味と薬味と塩で適度にアクセントが加わり、いくらでも食べられそう。ここは天国かもしれない。

 普段家での食事はコンビニやスーパーで購入した惣菜などで、それも美味しくて満足しているのだけれど、どうしても作りたての料理にありつける機会は殆ど訪れない。そんな日常を過ごしているから、こうやって誰かが私のために作ってくれた出来立ての料理食べると、食欲以外のどこかも満たされて幸せな気分になるのだ。

 そんなことを考えていたら、芋の水割りが無くなってしまったので次は麦の水割りを頼んでみた。料理はまだ半分ほど残っているし、時間もまだ一時間はゆっくりできる。この麦が終わったとき、まだお腹の余裕があれば最後に一杯だけ日本酒を飲んでもいい。一人飲みで困ることは、二品も頼めば満腹になってしまうことだ。

 そろそろ筆を置いて(実際はスマホだけど)料理とお酒に集中しようかな。文章の練習のための試みで書いてみたけれど、リアルな今の日常を残すという意味で良いかもしれない。読むべき内容は無いが、またそのうちこういう記事書こう。

ではこの辺りで。